その(意外すぎる)解散の真相と復活への道のり、新作について

—-このたび復活することになったキュートメンですが、そのいきさつを聴く前に、そもそもなぜキュートメンは解散したんでしたっけ?

CMJK「ガチな理由とオフィシャルな理由のふたつがあるんですけど、どちらにしましょう(笑)」

—-それはガチな理由でしょう。

CMJK 『フューチャリティー』というアルバムを出した頃のぼくは完全主義スイッチみたいなものが入ってしまっていて、物作りに対してかなり偏執狂的になってたんです。自分だけじゃなく、ピコリンにもつねに100%の結果を出すことを求めすぎた。それに対してピコリンがちょっと壊れてしまったんです。一緒にやるのがつらい状況になった。

—-当時は取材などでもピリピリした雰囲気を漂わせてましたよね。

CMJK その前からピコリンに対して不満も高まっていたんですよ。デビューしてモテるようになって、フワフワしてないでもうちょっと音楽に身を入れろよ、なんて思いもあった(笑)。
ピコリン モテてはいないですよ。
CMJK 詞とかメロディとかもうちょっとちゃんと書いてくれよっていうのがあったんです。
ピコリン でも、いまだから言えるんですけど、ぼくのほうにも不満があった。
CMJK ほう?
ピコリン ぼくが曲を作るのはエンソニックのSQ80っていうオールインワン・シンセを使ってなんですけど、それを潤さんが音色が気に入ったって言って持っていっちゃったんですよ。それでぼくは家で曲を作る術をなくしてしまったんです。
CMJK え?

—-え?

ピコリン あのシンセじゃないと曲は作れなかったんです。でも、ぼくはそのことを当時は言えなかった。
CMJK なんだよそれ! 言ってよ! それ言ってくれたらすぐ返したよ!
ピコリン だってそうなんですよ。
CMJK 23年も経ってから、あのシンセがなかったから曲が作れなかったなんて言うなよ!
ピコリン だってそうなんですもん。
CMJK たしかにいまでもあのシンセの音色は大好きで、ソフト・シンセになっているからいまでもいっぱい使ってるほどだけど…。
ピコリン ありがとうございます。
CMJK ありがとうじゃないよ! 当時言えよ!
ピコリン ぼくは高校2年まではバスケ部で音楽とまったく関係のない人生を送っていたんですよ。スポーツしかやったことがない。だけど、高校3年になってSQ80の前身のES-1をなぜか買ってしまって、そのシーケンサーを使って曲作りをするようになったんです。打ち込みのやりかたはそれですべて覚えた。ぼくの音楽人生の始まりはそのシーケンサー機能で、その後継機のSQ80をキュートメンでも使ってたんです。
CMJK その大事な大事なシンセを俺が持っていったんだ。
ピコリン そう、それでしか曲を作れなかったのに。
CMJK そう言えば返したのにさ。
ピコリン 当時のぼくはとても言えなかったんですよ。

—-あの頃はインタビューでも、ピコリンはなにかっていうCMJKに謝ってばかりで、インタビューになりにくかったのを憶えてる。

ピコリン そう。あの当時はとても自分の意見は言えなかったんです。音楽について、自分はなにもわかっていないという気持ちが強かったから、潤さんの言う通りにやらなければいけないんだって思い込んでいた。
CMJK 悪かったよ。
ピコリン あのときにSQ80が手元にあれば、きっとぼくも曲をいっぱい書いてましたよ。
CMJK そんなたらればの話がありなわけ?
ピコリン まちがいないです。

—-という、いま明かされた隠された理由もあって(笑)、1993年に解散となったキュートメンですが、印象としては解散を宣言してというよりは、活動がいつにまにか行われなくなったという形でした。

ピコリン 最後に名古屋でライヴをやって、その後にシングルが1枚出たけど、その頃はもうなにもやっていなかったのかな。最後にTVKのテレビに出たときに、しばらく休むっていうのは言った記憶がありますけど。
CMJK あったあった。
ピコリン 次のアルバムを待っててくださいねって言って23年…。
CMJK キュートメンを解散っていうよりも、ぼくはあの頃、ハードなギターをいれた音楽をやりたいなって気持ちもあって、キュートメンを休んでそっちをちょっとやろうかって気持ちだった。

—-そうしてピコリンは音楽業界からは離れて一般の仕事をしつつ現在に至っているわけですけど、音楽に対する未練というのはその間はなかったんですか?

ピコリン キュートメンがなくなって、自分に音楽ができる、歌が歌えるというような自信をなくしてたんですね。キュートメンでは自分なりにがんばったつもりなのに、活動休止になった。自分にできることはあそこまでだったなという気持ちが強かったんです。SQ80がないから曲も作れないし…。
CMJK 悪かったよ! 何回それ言うんだ! 言ってくれたら返したよ!

—-キュートメン終わっても返してもらえなかったんだ!(笑)

CMJK まあ、借りパクということになりますね。
ピコリン 音楽を続ける潤さんに持っててもらったほうがいいと思ったんです(笑)。

—-(笑)そして月日が流れて、しばらくお互いまったくの没交渉だったんですよね。

ピコリン 潤さんがぼくの連絡先を探してるって噂が聞こえてくるぐらいつきあいはなかったですね。
CMJK それっていつ頃?
ピコリン 2000年ぐらいかな。
CMJK ああ、あの頃はピコリンはもう故郷の福島に帰った説とかもあって、もうこのまま一生会えないのかもって気持ちはあった。
ピコリン なにしろ音楽で知りあった人とは誰とも連絡を取っていなかった頃ですね。ぼくはもともと、いまどきの言葉で言えばコミュニケーション障害というか、そもそもキュートメンの頃も周りの人と会話をほとんどしなかったぐらいだし。
CMJK “ウェイティング・フォー・ラヴ”っていう、キュートメンがビクターからデビューする前にソニーのコンピレーションに入れた曲があって、2000年頃にその曲を新録してインディーで出そうかなって思ったんですよ。なので新録するに当たって歌う人はいまどこにいるんだ? ってなって連絡先を探したんです。
ピコリン 連絡をもらったときは、う~ん、いまだったら…。
CMJK シンセ返せって言える?
ピコリン いや、そこまでは(笑)。ようやくいま言えたぐらいで。そのときは30歳ぐらいだし、この歳になったらまたちがった感覚でできるのかなあって思って新録に参加したんです。キュートメンの頃は必死すぎて周りがなにも見えてなかったから、この歳になってちょっと余裕が出てきたのかなあ、と。と同時に、キュートメンの昔のCDを聴き直して、やっぱり潤さんすごいなあと。潤さんの作った世界に必死で入ろうとしたけど、全然できてないというのがわかった。昔の自分を客観的に観ることができたんです。それをいまのぼくがやったらどうなるんだろうっていう興味も湧いてきた。

—-2000年の再録音のときはどういう気持ちでした?

CMJK “ウェイティング・フォー・ラヴ”はライヴでも人気の高かった曲で、なんでこの曲の音源が手に入らないんだ? という声がたくさんあったので、あの当時の熱気を再現しつつ、でも、仕上がりの質感は2000年当時の最新もものじゃないといけないと思いました。なのでアレンジやレコーディングにはものすごく気を使って。まったく気楽な感じじゃなかったですね。
ピコリン そう。残しておかなきゃいけない曲だっていう意識があったので、すごく真剣でした。
CMJK 宿題にようやくとりかかれたっていう気持ち。宿題というより、追試かな。

—-そういう、また真剣な気持ちで二人で組んで、それから一緒にライヴ活動を行うようになっていったんですね。

CMJK 再録からしばらく間はあいたんですけど、最初はピコピコおじさん(PPO)というユニットを始めたんです。もともとはデペッシュ・モードの完コピをやりたくなって、ヴォーカルはピコリンしか考えられないので趣味として二人で始めた。そうしたらその趣味の活動にお客さんがどんどん来るようになって、そのうちにせっかく二人でやってるんだからキュートメンの曲もやれよなんていう声も上がるようになっていった。う~ん、キュートメンの再結成じゃなくて、コピーバンドのPPOでキュートメンのコピーをするっていうのはアリかもしれないなあって、ワケのわかんない気持ちにだんだんなってきたんですね(笑)。で、やってみたらすごい数のお客さんが来て…。それでPPOでヴィーナス・ペーターと対バンしたり、3.11の義援金を集めるライヴをやってみたりと積み重なっていったんです。

—-趣味のPPOから本当のキュートメン再結成に至る心境の変化はどういったものだったんでしょう?

ピコリン “ウェイティング・フォー・ラヴを録音した頃までぼくは福島に母親と一緒に住んでいて、その後に結婚して東京に出てくることになったんです。
CMJK それで一緒に活動しやすくなったというのはひとつあると思います。それで気軽にPPOという遊びを一緒にすることになって、キュートメンのコピーもするうちにピコリンのがんばっているヴォーカルがもっと聴きたくなってきた。

—-がんばっているヴォーカル?

CMJK そう。がんばって高音と低音を出しているピコリンのヴォーカルが、ぼくにはいちばんぐっとくるんですよ。それでライヴのオケでもそういうアレンジにしていったんですね。
ピコリン 潤さんは、ぼくがいちばん気持ちよく歌える中域のメロディをなかなか書いてくれなくて、高域と低域の歌メロばっかり書くんですよ。声が出なくて大変。
CMJK で、そうやって真剣勝負みたいなキュートメンのカヴァーをやるとお客さんも喜んでくれて、号泣している女性ファンなんかも目に入って…。
ピコリン デペッシュ・モードのカヴァー・ライヴだと会場は男の人ばっかりなのに、キュートメンのカヴァーのときは女の人がすごく多くてびっくりしました。
CMJK 我々としてはおっさんだらけの会場でデペッシュ・モードのカヴァー・ライヴをやるというのも楽しくてよかったんですが。

—-CMJKは音楽業界では裏方のほうにまわっていて、アーティストはやめた宣言などもしていましたよね。

CMJK そう。なのでPPOは完全にお遊びの趣味だったんです。
ピコリン ぼくは仕事は音楽と関係ないし、カラオケにもいかない。普段は声を出す、歌うということがまったくない日常で、PPOのライヴのときは一年分の声を出す機会ということでいい発散になってました。日常で溜まっているものを気持ちよく発散できる。

—-という、気楽な遊びや発散の場が、キュートメン再結成ということになると意味はちがってくるわけで、そこにはやはり責任や重圧なども生まれてくるかと思いますが、どうでしょう?

CMJK そうですね。いざキュートメンを再結成しようと思ったら、たくさんの人が応援してくれたり支えたりしてくれてびっくりしたんです。これはちゃんとやらなきゃいけないなっていうプレッシャーはあります。若い頃は、そんなプレッシャーは感じなかったですよ。みなさんの期待に応えたいなんて気持ちはさらさらなかった。それがいまは自然に生まれてきて、歳を取るのも悪くないなと。
ピコリン ファンの人のツイートなんかを読んでいると、潤さんの作る世界にぼくが歌で入るキュートメンという存在がすごく愛されているのが伝わってくるんです。だからそれを今回、そのまま素直に出せばいいんじゃないかと思うんです。
CMJK 若い頃はピコリンのヴォーカルのレンジが狭いことに不満を感じてたんです。でも、その後にいろんなヴォーカリストと一緒に仕事をしてきて、うまい人、広い声域の人であってもキャラクターを感じられないヴォーカリストもいるなと感じてたんです。声域は関係なく、どんな曲を歌ってもその人の歌になるキャラクターを持っている人ってすばらしいと。ヴォーカリストにとって、なにを歌ってもその人のキャラクターが出るというのはすごいことなんです。ピコリンもそのひとりなんだなって思うようになってきていた。ピコリンは多機能ではないけど、替わりの効かない高機能のヴォーカリスト。知りあってずいぶん経って、やっとそれに気がついた。

—-そして今回、再結成の第一歩として新曲「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」が発表されました。

CMJK 新曲を作るって発表するというのは最初から決めていました。再結成して昔の曲を再録音して、そのライヴもやりますではPPOと変わらない。現役のアーティストとして新曲を作るのは当たり前という感覚。

—-ふだんクリエイターとして他のアーティストに提供している曲と、自分たちのキュートメンとしての曲「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」はどこがちがうと思います?

CMJK ぼくは昨今、アイドルに曲を提供することが多いんですけど、いまのアイドルの曲ってとにかく情報量が多いんですよ。1曲が150トラックぐらいで構成されている。データ量でいうと1曲10Gにもなる。楽しいエンターテインメント作品は最近はそんな風潮なんですが、キュートメンだからこそできるちがうやり方があるなって思うんですよ。情報量をそぎ落としてシンプルに引き算割り算で曲を作る。そこにピコリンのカッコいい声を乗せる。そしてぼくの好きなグルーヴやシンセの音色を盛り込んだ、自分たちの好きなものしか入っていない弁当のような作品にしたかった。豪華な幕の内弁当じゃなく、海苔弁のようなものですけど。

—-それはそうですよね。好きなことをやらなきゃアーティストとして復活した意味はない。

CMJK たとえば打ち込みの音楽ではいまはEDMの時代ですが、我々がそこにすり寄る意味はないんで、昔からの四分打ちのハウスやエレクトロニック・ミュージックを基本としながらも、いまの音楽として聴いてもらえるものにしたつもりです。若い人にも悪くないなって思ってもらえるトータルな質感にこだわりました。
ピコリン そう、まさに潤さんならではの曲ですよね。デモ・テープの段階では潤さんが仮ヴォーカルを入れているんですけど、ぼくはコンフュージョン(キュートメン後にCMJKが結成したバンド)も好きだったから、これこのまま出せばいいんじゃないの? って思ったぐらい。
CMJK それ、再結成の意味がまったくないよな。
ピコリン (笑)
CMJK ピコリンが歌うっていうのを大前提で作った曲なんだから、自分で歌うんだったら歌えないような歌詞だよ、恥ずかしくて(笑)。
ピコリン デモ・テープでこれだけ完成している世界に自分が入っていってどうなるんだろうって楽しみでした。実際、歌詞は“なにもできない自分”という、ぼくにすごく当てはまるものだし、歌っているうちにどんどん感情移入していきました。
CMJK だってピコリンを念頭に置いた歌詞ですから。ぼくは結婚してないし、自分にとってはまったくリアリティがないもの。ピコリンが歌ってこそリアリティが生まれる作品なんです。
ピコリン 心の中では思っていても、実際には奥さんや彼女に、“ぼくは君を愛するために生まれてきた”なんて口にできない人は多いと思うんですよ。ぼくもそう。
CMJK そういうラヴ・ソングでありながら、一方では社会や日常生活に対するいろんなフラストレーションも込められているんです。右か左かはっきりしろという最近の風潮に対して、周りの人を愛するというだけではなぜいけないの? という気持ちもある。ピコリンじゃないと歌っても説得力ない曲ですよ。
ピコリン そうですね。
CMJK これを歌ってカッコ悪くならないのは世界中でピコリンだけです! カッコ悪い歌詞ですもん(笑)。
ピコリン 自分の思っていることをはっきり表に出せない人の嘆きですもんね。

—-カップリングの「ガソリン・カー」もキュートメンらしい曲ですね。

CMJK 実はこちらのほうが先にできた曲なんですよ。この曲ができて、再結成キュートメンはやっていけるなって確信が生まれた。

—-へえ!

CMJK キュートメンのために新曲を作るかってなったときに、しばらくなにも思い浮かばなかったんですよ。そういえばPPOでデペッシュ・モードのカヴァー・ライヴをやるときに、初期のデペッシュ・モードの曲をやりたいって言ったのに、声域が高いからってピコリンが拒否したことあったな、やりたかったのにな~、なんて思いながらキーボードをいじってたらこの曲の最初のフレーズが出てきた。そうそうこう感じ、あれ、でも、これデペッシュ・モードの曲にこんなのない。自分で思いついたフレーズじゃんと気がついて、そこから一気に曲と歌詞ができていった。
ピコリン そうなんですか。
CMJK で、歌い出しのときがキーがいちばん高くて、それからだんだんとキーが下っていくっていう、通常では絶対にやっちゃいけないスタイルというのを一度やってみたかったんですよ。せっかく自分たちの曲でインディー・レーベルから出すものだし、メジャーな世界の規則に縛られないものにしよう、って。この曲はメジャーのアーティストに提出したら、こんなことは絶対にやっちゃダメって怒られる曲なんです。

—-変な曲であるところがむしろキュートメンらしい?

CMJK いまはありとあらゆるタイプの曲が出尽くしているから、我々にしかできないような表現なんてないと思ってたんですけど、この“ガソリン・カー”ができて、キュートメンにしかできないようなことはまだあるなってピンと来た。
ピコリン ぼくの中ではかつての“マイ・ハート”(アルバム『フューチャリティ』収録)の続編みたいな気持ちがあるんです。近未来なんだけど、変われない自分がそこにいる。変わっていく世界と変わらない自分がそこにあるという。
CMJK ぼくはどうしても、サイバー・パンク世代なんで、未来=ディストピアという感覚が染みついている。前作、といっても23年前ですけど、その『フューチャリティ』の頃は明るい未来を待つんじゃなくて、いまが未来そのものだと思って生きていかないとまずいっていう危機感もあったんです。実際、いまそういう未来になってますよね。ただ、当時はいまが未来っていうと現状を肯定している希望のあるものであるかのような捉え方もされて、今回はそこをもうちょっと明快に出していきたいなという思いがあります。そして歌詞でミニスカートを履いた女の人の描写も出てきますが、やはりこういう歌詞は20代の頃だったら気恥ずかしくできなかったですよね。
ピコリン 歌うのもできなかったかも。
CMJK あの頃のキュートメンにはまちがいなくできなくて、いまのキュートメンだったらできる。これは今回の再結成で重要な点で、今回の新曲2曲にもそれがうまく出せたかなと思っています。

(取材・構成:吉村栄一)